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初めての海外旅行♪

中学生の頃、進路希望を出すように言われたわたしは、第1希望から第3希望まですべて公立高校の名前をあげてしまったあわてんぼうさんでしたぁ(*≧m≦*)ププッ

そこで、そんなわたしに担任が薦めたのは、 英語科のある高校でしたぁ
なぜなら、5教科の内、英語と国語だけ飛びぬけて偏差値が良く、理数系は、グラフの棒線がないんじゃない?!ってぐらい苦手だったから。。。
なので、受験科目が普通科と同じ国語と英語の試験に加えて、英語科独自の長文読解の試験がプラスされたものを受けて、わずか定員50名の枠に、受かったのでしたぁ。。。ポリポリ (・・*)ゞ

もしあの時落ちてたら、公立高校のランクを下げなければいけなかったかも。。。(・・*)。。oO(想像中)と思うと、ホントにラッキーでしたぁC=(^◇^ ; ホッ!

そして、一日の時間割の中で、英会話、英文読解、などなど頭に英の文字がつく科目だらけの毎日を過ごし、いい加減英語に嫌気がさしてきた高校2年生の夏。。。

オレゴンへの海外研修の募集が。。。

費用は、3週間で50万円

めっちゃ高っ

わたしは、ただでさえ私立行かせてもらってるし、毎日の授業で英語をいっぱいお勉強してるわけだし、わざわざ高い費用を出してもらって行かなくても、いつか自分でお金貯めていければいいや。。。って思い、その募集の用紙を親に渡さないで、カバンの中にしまったままにしていたのでした。。。

すると、数日後、夕食の時間に、両親が私に向かって。。。

『なんか学校から大事なお知らせとか来てない』

って聞かれたんですけど、最初は何のことやら分からなかったので、

『(・・*))((*・・)んーん特には来てないけどぉ』

って答えると。。。

『本当に何にも来てないの』

って念を押されるように聞かれて。。。

(・_・o)ン? (o・_・)ン? (o・_・o)ン?。。。。。Σ(〃゜ o ゜〃) ハッ!!まさか。。。

と思いながら、自分の部屋に行き、カバンの中から数日前に配られたオレゴン海外研修へのお知らせの用紙を持ってきて、

『もしかして、これのこと』

『そうだよなんですぐに見せないんだ』

『だって。。。費用も高いしさぁ。。。とても無理じゃないだから、別に、今行けなくてもいいかなぁって思って。。。ポリポリ (・・*)ゞ』

って開き直りながら答えたら。。。

『パパやママが、いつ無理って言ったんだ。行かせないなんて一言も言ってないだろう』

と、めちゃめちゃ真剣な顔で言うから、わたしも、Σ(- -ノ)ノ エェ!?見せたほうが良かったのぉとビックリしちゃったんだけど。。。
どうやら、高校受験をする時から、この研修の件は学校から説明があり、両親達は、その時からすでに行かせてあげたいって思ってくれていたらしいのですが、甘い言葉を囁いてしまうと、わたしが努力を怠ると思ったらしく、その日が来るまで口にしなかったらしいのです。。。ポリポリ f  ̄. ̄*)

そんなことなど、露知らずのわたしは、てっきり無理だからと思って、最初から見せなかったんだけど、親にしてみれば、2年生の夏にあるはずなのに、なんでまだお知らせが来ないんだぁと、ヤキモキしていたんですって。。。

とまあ、そんなやりとりの中、両親から研修に行きたいという意志があるのかないのかと問われたわたしは。。。

もし、行けるんだったら行かせてもらいたい

と初めて、そこで自分の素直な気持ちを告げて、両親もそれを受け入れてくれたのでしたぁ。。。

そして、その夏、わたしは、同じクラスの同級生、そして普段ほとんど交流のない普通科の生徒たちとともに、生まれて初めての海外を体験するべく、オレゴンへの3週間の海外研修へと旅立ったのでしたぁ。。。

飛行機に乗ったのも、小学生以来だったし、海外へ行くという実感も、まるでなくて、とにかくワクワク♪o(^o^o)(o^o^)oワクワク♪した気持ちで、ポートランドの空港へと降り立ったわたしたち。。。

向こうでは、大学を借り切って、毎日午前中に授業を受けて、午後は、その日によって、自由行動または、団体でどこかへ遊びに行くという時間が持たれたのでした。。。
そして、夜は10時近くまで明るかったので、夕食後は、テニスをしたり、卓球やビリヤードなどなど、それぞれ思い思いの時間を過ごして、10時になると寮へ戻って就寝。。。

のはずが、今度は、うちの部屋に集まって、それぞれが持ち寄ったお菓子をつまみながらのナイトパーティーなんかしちゃったりなんかして(● ̄▽ ̄●;)ゞぽりぽり

他にも、自然公園や、海、山、川くだりなどなど、いろんなところへと連れて行ってもらい、本当に内容が盛りだくさん

なんと!向こうでは、ちょうどあの有名な『オレゴンから愛』のドラマ撮影なんかもしていたらしく、その出演者の方々にわたし達を合わせてくれるというBIGな企画 まで先生方は用意していてくれたのでしたぁ

わたしは、そこで一緒に写真撮影をした古谷一行さんの口から、石原裕次郎さんが亡くなった事を聞いたのでしたぁ。。。ヽ(*'0'*)ツ ワァオォ!!
今は亡き川谷拓三さんが、わたしたちがインディアン達と共に楽しく踊っているのを、少し上の方から眺めていたのを見つけて、とってもビックリしたのを覚えています。。。ポリポリ (・・*)ゞ

そこに加えて、1週間のホームステイもあり、同級生と二人一組になってステイしたのですが。。。
日本を旅立って2週間が経ち、ちょっぴりホームシックにかかっていたわたしは、ホストマザーやホストファーザーがわたしとのコミュニケーションを図ろうとしてくれたのに、彼らの話す言葉の意味が理解できなくて。。。
一緒にステイした同級生に頼りっぱなしだったのでしたぁ。。。
その時、思いました。。。

わたし達が学校で学んだ英語って、いったいなんだったんだろう。。。

って。。。
どんなに毎日学校で、何時間も英語の授業を重ねても。。。
ネイティブなイングリッシュは身に付かないんだなぁ。。。
って。。。

でも、ある時、海に連れて行ってくれて、その帰りに寄ったレストランで。。。
それまで大人しかったわたしが、このお料理とドリンクを頼みたいってホストファミリーにお願いしたとき。。。
すごく感激して喜んだお二人は、思わずわたしのことをギュッ と抱きしめてくれたのでしたぁ。。。

わたしは、わけも分からず抱きしめられるままだったのでしたが、後で彼らの話では。。。
ずっと大人しくてどうしてほしいのか言ってくれなかったから不安だった。。。
でも、やっと自分から意思表示をしてくれたことがすごく嬉しかったそうなのですぅ。。。

わたしはわたしで、極度のホームシックと彼らの話す言葉をなかなか聞き取れなかったため、自分からアクションしてもその返答を理解できないから、アクション起こせなかったんですよね。。。テヘヘッ(*゜ー゜)>

そんなわたしたちでしたが、そのレストランの件があってからは、わたしもとても積極的に話しかけるようになり、楽しいホームステイを経験することが出来たのでしたぁ。。。
ちょっぴり気付くのが遅かったけど。。。((^┰^))ゞ テヘヘ

その時思ったのは、やっぱり、本当の英語を身に付けるには、現地に行くのが一番☆⌒d(*^ー゜)b グッ!! ってことかな
でも、その大切さに自分が気が付いたのは、あと1週間で帰国するという時点でしたぁ。。。(≧▽≦;)アチャー

それまでは、一緒に行った同級生たちとばかりつるんで、ホストファミリーに対してはおろか、現地の学生さん達とも絡みってホント少なかったのでしたぁ。。。
何か分からないことがあっても、一緒に行った同級生に聞いちゃったりしながら乗り切ってたところがあったりして。。。

なので帰国の時、あの大自然に囲まれたオレゴンの地で、いろいろな体験をさせていただいた満足感と、もっと積極的に自分から現地の方達との交流を深めればよかったなぁ。。。というちょっぴり無念な気持ちを胸に抱きながら、オレゴンの地を後にしたのでしたぁ。。。

いつか、もう一度、ここへ来たい。。。

そんな思いも抱きながら、あれから今年で20年。。。

未だに再びオレゴンの地を訪れることのないまま過ごしてきちゃいましたが。。。(・・。)ゞ テヘ
でも、あの様々な素敵な体験があったからこそ、わたしは、異国の地で、いろいろなことを考え、理解し、それまで狭かった視野がグッと広まって、海外や、英語に対する気持ちも変わったような気がするのです。。。

本当に、あの時わたしの背中を押してくれた両親には、感謝しても足りないぐらい、今でも有り難く思っています。。。

これは余談ですが。。。(*≧m≦*)ププッ
帰ってからのわたしは、それまでうんざりしていた英語三昧の授業に、急に積極的に取り組むようになり、行く前よりも成績もグンと上がり、一気に上位への仲間入りをしてしまってビックリ(☆。☆)

人間って、ほんのちょっとのきっかけで、こんなにも変わるもんなんだなぁ。。。(*゜.゜)ホ・(*゜。゜)ホーーッってしみじみ感じましたぁ。。。
あの時の素敵なホストファミリーとの出会いや、様々な体験があったからこそ、今のわたしがいるんだなぁ。。。って思ったりなんかして(*⌒∇⌒*)テヘ♪


ところで、ただ同然で海外旅行に行ける方法があるとしたら、あなたは知りたくないですか?
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