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2007年10月01日
2007年10月02日
私は結構怖がりなので、海外なんて物騒なことばかりだから行く人の気が知れないなんて思っていました。実際新婚旅行は北海道でしたし…
でも、結婚して2ヶ月目に主人が会社の社員旅行でハワイに行くことになりました。
社長が仲人ということもあって、一緒に連れて行ってもらうことになったのです。
正直、まだ不安はありました。英語も話せないし…
でも会社の人と一緒だから何とかなるかと思って、それからはもう気持ちはハワイです。
その年は日本が猛暑の年でした。
ハワイに着いてみると、ハワイの方が暑くない。
ハワイの人に、「日本は暑いんだって?」なんて言われちゃったりして。
ハワイでいたのはオアフ島とマウイ島だけで、オプションツアーで動くくらいでした。
自分たちでバスなどに乗って動くということはなかったですね。
もう少し度胸を持って動けばよかったかななんてあとで思いました。
結構ハワイに行く人は、買い物を楽しむようですが、私はブランド物とかは興味がないのでお土産などを買う程度でしたが、ディオールの口紅は好きなのでそれだけは買いました
あとはホテルの部屋から見える青い空と海をボーッと見ているだけで、心は満足という感じでしたね。
部屋にサービスで置いてあったコナコーヒーを飲みながら、青い空と海を焼き付けるかのように、ゆったりとした時間を過ごせたことは私にとっては、買い物をして回るよりも貴重な時間でした。
今は子育てに追われて、ボーッとする時間もないですが、また機会があればハワイに行って子供たちと一緒にあの青い空と海を見たいと思っています
2007年10月03日
青々とした空から眺める青い海はとても綺麗で、空港に降り立つ前からドキドキしていた飛行機の中。
これが私の初めての海外旅行。
飛行機からの眺めは、国内旅行とはまた違ったものでした。
色んなものがキラキラして見えたのは、自分の気持ちが初めての国外への期待に満ちていたからに違いありません。
サイパンの空港。入国手続きがやっと終わり、一歩出ようとした時に目に入ったのは…
「タカシー」の文字。
親切にも日本語で書かれていたのですが、一文字違う!!
明らかにタクシーだとは分かりますが、これにはびっくりやら面白いやらで、ちょっとした緊張もほぐれていました。
そんな笑いで始まった初海外旅行は、台風で帰れるか帰れないかというドキドキの1日も思い出に残してくれました。
もう8年も前の事になりますが、今でもはっきり覚えています
2007年10月04日
韓国の釜山に買い物ツアーで行った時、自由時間は当然買い物タイムなんですが、堀出し物を探すのに熱中するあまり、ガイドさんを見失ったことがあります。
焦りました。結局探しにきてくれたんですが。
でも、言葉が分からないところではぐれちゃうと困りますね
周りの人も私があまりにも馴染んでて観光客と気付かなかったのか、助けてくれないし。
といっても、話しかけられるとよけいパニックなんですが。
韓流ドラマみたいにステキな人が助けてくれたら良かったのに☆
旅の楽しみといえば、お土産探しですよね
定番モノも押さえておきたいところですが、変わったものもほしい!
というわけで、いろいろなお店に入って、ヘンテコ英語で値切るのですが、なかなか通じなくて嫌そうな顔されたり。
ハワイとか普通に日本語通じたりするんですけどね。
ハワイではフラダンスプーさんを買いましたよ!いろんなプーさんを集めてます。他の国バージョンもあるのでしょうか。
ベトナムのホイアンに行った時は、定番のアオザイを買っちゃいました。
だって、似合うってみんな言うから。
綺麗なのはいいんですが、着る機会があるかどうかが問題です。
モナコに行った時はフェラーリの折りたたみ傘を見つけました!
珍しいですよね。さすがF1の町だと思いました!
ギリシャのアドリア海の小島、ザキントス島というところがあるのですが、海がめの生息地として有名なんだそうです。
そこで海がめグッズを買いました。可愛いです
スペインといえば、闘牛!闘牛Tシャツも買っちゃいました。いつ着るんだろう。。。
イタリアのヴェネツィアではカーニバル用の仮面が売ってました。
仮面の専門店があるんですよ!びっくりですよね。あやしいなあ。さすがに買いませんでしたが。
でも、皆さんこれつけるんですよね。すごいなあ。1度くらい参加してみたいかも。
羽がばっさーついてて、目のトコが隠れるのとか、きらきらゴージャスなのとか。
セーラームーンのタキシード仮面みたいやね、とみんなで言ってました。
ということは、私たちはセーラー戦士の扮装をするべきか?
ジャパニメーションはやってますよね。
世界中でMANGAは共通語です。
フランスに日本のマンガ売ってるお店があったんです。昔のアニメのグッズとかも。
フランス来てまで買うか迷って、でもなぜか「名探偵コナン」を買ってみたりして。
フランス語読めませんって!
2007年10月05日
私が英語を話すことが好きになった場所。
それはオーストラリアです。
私は旅行することが非常に好きです。
日常を忘れられたり、別の場所に行くことによって、さまざまな見聞が深まりワクワクします。
国内も好きですが、海外も英語を勉強して実践するのにはもってこいだと思い、英語圏はもちろん、そうではない国も言葉を勉強して少し話せる程度にしています。
海外旅行で一番、印象深いのは
オーストラリアです。
私が初めて海外に行ったのは英語を学校で勉強し始め少し経つ、中学2年生の頃でした。
飛行機に乗るのも初めて、パスポート取得も初めてで全てが新鮮で、逆に覚悟も要る雰囲気で準備が進みました。
行き先はゴールドコースト、ブリスベン、シドニー。
夏休みに入り、8月の日差しも強い日。
夕日を見ながら車で空港まで行き、夜の便で向かいました。
成田発→シドニー乗換え国内線→ブリスベンから車でゴールドコーストという順番に到着しました。
まず食べ物を購入するためにお店に入りました。
注文をしたいのですが、どうしてもドキドキしてしまいレジになかなかいけませんでした
しかし「腹が減っては戦にならぬ」ということで思い切ってカウンターへ。
金髪の女性がスマイルを振りまいてきます。
女性「Hi-!May I help U?」
私はショーケースの品物を指差しながら
私「please this one,and this one」
女性「Hum,...」
彼女はきちんと耳を傾け私に欲しいものを手渡してニコッとしてくれました。
初めて自分の英語が通じて嬉しくて仕方ありませんでした。
この言語でさまざまな人種の方と話せるのだと知って感激してしまいました。
それから私もオウムのように現地で返していました。
こんな思い出深いオーストラリア。
それから5年後、私はアルバイト代をためオーストラリア・メルボルンという街に1ヶ月滞在しました。
そこでは韓国の方と知り合い少し勉強していた韓国語と英語を交えた会話をし、中華系オーストラリアンの近所のコンビニの夫婦とはジョークを話したりしていました。
オーストラリアの時間はゆったりとしていて、自然も半端なく多くて、観光客に優しい街だと再認識しました。
私はまたオーストラリアに向かうと思います。
フランス・パリ・ハワイ・オアフ・韓国・ソウルに行ったけれど一番、好きで仕方ないのはオーストラリアなのです
2007年10月06日
旅行、特に海外旅行が大好きです。
はじめの海外旅行は、大学三年生の時。
卒業単位を揃って、自分への褒美として、仲の良い友人とツアーに参加しました。
2000年11月、JAL機を乗って、関西国際空港から出発しました。
たっぷり寝るつもりでしたが、機内放送した最新映画はとても面白くて、ずっと見てました。
そして、約10時間の空中の旅で、ロンドンヒスルー空港に到着。
国会議事堂&ビッグベン、タイムズ川を漫歩し、大英博物館でミラーとツーショット。
ロンドンでの滞在は三日間しかなかったです。その後、花の都・パリ
に飛びました。
(大学の第二外国語は、迷わずフランス語を選んだ私です。でも、難しい。。。)
オペラ座、ルーブル美術館に訪れてから、シャンゼリゼ通りに沿って、凱旋門に向かって散歩しました。しかし、さすがおしゃれな国、フランス。
道に出会った女性は、派手なファッションではなく、繊細で、上品さと個性が感じます
この旅の最後に訪問した都市は、ローマでした。2000年の紀元年だったため、
ローマの多くの街道が、ほとんど車両通行禁止された。
バチカン市国で観光した時、偶然に儀式があり、当時まだ健在されていた教皇を目にかかりました。
コロセウムの前に、ローマ武士の格好をしている男性が、観光客と写真を撮っていました。
女性が通ると、なまりの日本語で、「殺すぞ!」と突然に大声を出しました。みんな笑っていました。
そして、帰国する前に、友人とTreuiの泉に硬貨を投げた。
伝説により、こうすれば、また再びローマに来るそうです。
本当かなぁと思いました。
就職してから、急に忙しくなりましたが、どうしても、歴史と文化の宝庫のヨーロッパに行きたくて、連休を取って、2004年の夏、再び、旅行に行きました。
今回は、スイスとイタリア。
ローマに到着した時、Treuiの泉のことを思い出しました。
あの伝説、本当みたいですね(笑)。
バチカンの階段に登った時、後ろから英語で声が掛けられた。
なんと、昔オーストラリアで知り合った女の子だ!!
彼女は学会のため、ローマに来て、ついでに観光していたそうです。
その日は、イタリアでの最後の日。
もし、私が一日遅く来たら、あるいは彼女が一日早く離れたら、二人は会えませんでした。
また、いつかどこかで、偶然に会えるでしょうね。
2007年10月07日
私の海外旅行デビューは高校の時、家族でハワイでした。
その後、香港・シンガポール・イギリス・オーストラリアなど行って来ました。どの都市でも、抱えきれないほどの思い出を土産に帰ってきました。
甲乙付け難いですが、オーストラリアのケアンズに行ったことは鮮明に覚えています。
英語が片言しか出来ない友人と私。
ホテルのフロントも、頑張って聞き取るように努力してくれる状態なのに、無謀にも自力で電車のチケットを取り旅をしたり。
青い海と青い空のパワーを借りて、成長した私たち。
乗馬体験をした時は、言葉は通じなくてもちゃんと通じているっと痛感した瞬間。
馬も調教師さんも優しく接してくれました
海外旅行は、自分を何倍も成長させてくれるし、人とコミュニケーションを取る素晴らしさ人の温かさを感じる最高の機会だと思います。
次はどこに行こうかなぁ???
2007年10月08日
私は雨女なので、どこに旅行に行っても雨に降られます。
初めて行った海外は、オーストラリアでした。
高校生のときなので、あまり覚えていません。
次に行ったのはハワイ。これは社員旅行でした。
入社したその日に、「今年の社員旅行はハワイだから」と言われ、あわててパスポートをとりに行き、2ヵ月後にはワイキキビーチにいました。
ちょうどハロウィンの時期と重なっていて、街は夜までお祭り騒ぎでした。
見るだけの参加でしたが、日本じゃ見られない景色を楽しませてもらいました
次はドイツ。初めて訪れたヨーロッパでした。
ロマンチック街道を南下し、ルードヴィヒ2世の建てた3つの城をすべて巡るツアーでした。
城の豪華絢爛さに圧倒され、目が眩みました。
古城ホテルに宿泊したり、馬車に乗ったり、ミュージカルを見に行ったり、いろいろ楽しい旅行でした。
その中でも、一番楽しかったのが「カルテンベルクの騎士ショー」!
1年のうち3日間だけ催されるお祭りで、中世の時代を再現した村の風景や、中世の騎士の格好そのままで行われる騎馬戦に圧倒されまくりでした!
自分まで中世にトリップしたような感じさえ受ける、とても印象的なお祭りでした。
その村でお土産を買ったときの話。
角笛に名前を入れてくれる、と言うのでお願いをしたら、職人さんに周囲の人々が
「お前、ジャパニーズの文字なんか書けるのか?」
と大はしゃぎでした。
結局イニシャルだけを彫ってもらったのですが、職人さんはちょっと残念そうでした
日本語の漢字かなんかで「記念」とでも書いてもらえば良かったかな、とちょっと後悔しました。
ある意味、これも良い思い出ですね。
母の退職記念旅行で行った先はオーストリア。オーストラリアではありません。
音楽の都ウィーン、モーツァルトの産まれた街ザルツブルグを巡る旅でした。
コンサートに3回も行って、ウィーンの一番良いホテルに3連泊して、ゆっくりのんびり豪華なたびを楽しませてもらいました。
オペラが見られなかったのが残念ですが…。
ここに行ったお陰で、モーツァルト好きになりました。
モーツァルト・イヤーの2006年の前年のことなので、モーツァルトの生家は工事中で、内部しか見られなかったという思い出があります。
2006年のモーツァルト・イヤーに、TVでオーストリアの街並みが放送されるたび、「ここに実際に行ったんだなぁ」と感慨深く思い出しました。
オランダ・ベルギーを訪れたときの思い出は、花でしょうか。
キューケンホフ公園やチューリップの球根畑を訪れて、さまざまな花を見ました。
日本に入ってきているチューリップは、オランダの10分の1にも満たないのを知って愕然としました!
旅行前、チューリップはオランダまで行かなくても、オランダ村やハウステンボスで見られるよ、と人に言われましたが、やっぱり本物は本場でしか見られない、ということを実感しました。
ベルギーのブルージュでの一番の思い出は、鐘楼です。
鐘のあるところまで上れると言うので、1000段近い階段を上って、四方が見える鐘楼の一番上についたとたん、耳元で鐘の音が!
ちょうど3時になったところで、3時の鐘が鳴り出したのでした。
地上で聞く分にはキレイな音も、耳の真横で鳴り響いたら、キレイなんて言っていられません。
鳴り終わった後も、しばらく耳が聞こえませんでした。
海外旅行に行ったほかの人から、カバンの底をナイフや刃物で切られて、中身すべて盗まれた、とか物騒な話をよく聞きます。
幸いなことに、私はどの国に行っても「盗難」や「犯罪」に巻き込まれたことがありません。
今後も巻き込まれないよう、十分な注意を払って、楽しく海外旅行をしたいと思います。
ただ…、雨に降られるのだけはどうしようもなさそうです
2007年10月09日
約二年前。初の海外旅行になる。
韓国・釜山に親族の結婚式の為に、親戚一同。
行くことが決定した時点で、私も含め家族は、
母、父「用意用意!」 「あっ旅行バックある?」
子 「ないよ!どうする?」「買わないとね」
それから、家族でのキャリーバック購入から始まり、一様結婚式の服やなんやと行く時からワクワクの私達。
当日、フェリーで行き、フェリーの中では、一番ウルサイ親戚一同、船の揺れにも慣れ、誰かが持ってきたオニギリやおかずをほお張り、写真の嵐!
おい!ココは、まだ船の中ですよ!外は、海!何を撮っても一緒でしょ。(笑)
さぁ、港へ到着!!親族で写真を撮り、ホテルに直行・まずは、部屋に駆け込むなりホテル散策。
お昼は、本場焼肉・ビビンバ、食べまくり。年寄りには、すべての物が辛いとの苦情の嵐でしたが!私達は、満足。
明日は、ショッピング・あかすり・観光!と胸弾ませていましたが…
忘れてた
結婚式が先でしたね。
親戚が韓国の方と結婚し、韓国式の結婚式になり、チマチョゴリを着て、儀式を経て、親族での食事会。日本とは、全く違う文化での結婚式ですが、やはり万国共通!綺麗でしたね。貴重な体験をさせて頂きました。
その日の夜から、あかすり、サウナをし、ビールを飲み堪能。
観光では、銃の射的経験や港近くの海の幸を!ココでも食べまくり、人数が多いのでまとまるのも一苦労!!
又、韓流スターにぎわいで、母は、キーホルダーだのポスターなどを買いまくり、最後の日は、お土産で大変でした。
お茶・お菓子・キムチ、などなどすごく疲れましたが、とても、楽しい旅行になりました。
2007年10月10日
学生時代に行った、韓国第二の都市、釜山。
「釜山港へ帰れ」という歌が随分昔に流行ったせいか、漁港みたいな若干寂れた風景を想像していたのですが、近代的な建物と、昔ながらの市場と、そして港が同居する、アジアならではな面白いオリエンタルさを持ち合わせた街だったと思います。
釜山は1泊2日で、焼肉食べたり市場を見てまわったりしたけど、一番印象的だったのは、現地の方と触れ合った2度の出来事。
1度目は、どこかの観光スポットに行こうとしたものの、方角が分からずに友人と右往左往していたとき。中年の女性に日本語で「どうしたんですか?」と声をかけられました。
声をかけられたことも驚いたけど、流暢な日本語にも驚いた。日本人の方と思ったくらいです。
道に迷った事情を話すと、彼女はタクシーを呼び止めて、今度は韓国語で運転手さんに道を説明してくれました。おかげで、目的の場所に行くことができました。
色々考えました。
そもそも、日本で道に迷っている外国の方がいたら私は声をかけるか?
答えは、きっと、Noです。
言葉が通じない、というのもあるけど、仮に道に迷っている日本人でも声はかけないでしょう。しかも、当時はまだまだ韓国の方の反日感情が強い、と報道されていたような時代でした。なので、その中年の女性の親切な行動には心底驚きました。報道って、大袈裟にしてるだけなのかも?って。
2度目の交流は、ホテルをチェックアウトするときに発生しました。
チェックアウトしようとロビーにいると、一人の青年から「日本人ですか?」と声をかけられます。少しカタコトだったかな。
彼は、自分が怪しいものではないと証明するべく名刺を差し出してきました。かのサムスンの社員さんでした。
話を聞くと、当時の韓国は日本語ブームだったのだそう。よって、日本語上達のために、同じ年代の文通相手(当時はインターネットなどありませんでしたから)を探しているが、相手になってくれないか?と、いうものでした。
少し迷ったけど、前日の中年の女性のことが脳裏をよぎりました。ご恩はご恩で返したいな、って思った。だからOKしました。お互い住所と名前を交換して帰国の途に。
その後、キムくんとの文通が本当にはじまりました。
同い年と思っていたキムくんでしたが、じつは韓国では年齢の数え方が違うとのことで、私よりも1歳下だとわかったり、お互いの文化のことや、ときには日本語に赤ペンを入れて添削したり、、、そして、ある日、国際電話が我が家にかかってきて、キムくんのご家族全員、妹さんも含めてお話することになったり!
その後、双方仕事などが忙しくなり、フェードアウトしてしまうことになりますが、今でも時々思い出す出来事でした。
戦時下の日本が韓国の方にしてきたこと、そしてその教育を受けた方々が反日感情を抱くのは当然だと思っていたけど、互いに”知る”アクションを起こせば、そういった感情は緩和されるんだな、と思う。
そのことを教えてくれた、釜山で出会った2人の方には、感謝したい。
たった1泊2日の旅行だったけど、そういう学びを得られた貴重な時間だったのでした
2007年10月11日
5年ほど前、新婚旅行でカナダに行きました。
1番の目的はオーロラ鑑賞!
大手ではない旅行会社のツアーで、同行のお客さんは1組2名。合計4人の旅…
この辺は、辺に大手でゾロゾロするよりは良かったかなと思います。
ジャンボ機なのにキツキツのエコノミー席で12時間のフライトを終え、まずはトロントに到着。
第一の宿泊地は、ナイアガラでした。
到着が18時を回っていて、街はすでにシーン…
ホテルのレストランすら開いておらず、夕飯を食べるためにとりあえず外で出ることにしました。
観光地なので、ゲームセンターと土産物のお店があって、あんまり日本と変わらないねー。
なんていいつつ、カナダで最初の食事は、ファミリーレストラン…
そして翌朝の食事は、スターバックスで購入してお部屋で食べたりと、なんだか新婚旅行?というか、海外旅行?といった雰囲気。
昼食は、違うホテルでのビュッフェでした。
ナイアガラの滝は大きくてスゴイ!けど、あまり大きな感動がなかったのが不思議です。
その代わり、駐車場の街灯にしぶきがかかって、ナナメの氷柱が出来ていたのが印象的。
川沿いに(スタッフが)車を走らせればリスなどがたくさんいて、そちらの方がちょっと感動^^
その後も、飛行機のトラブルで一晩乗り継ぎの土地で宿泊したため、オーロラを見る機会が1回減ったり、休憩したところは地元のスーパーマーケットだったりと、なんだか観光だけではないところまで見ることができて、歳をとったら住みたいね、などという話にまでなりました。
寒いけど、とてもキレイな国でした。
そして、オーロラ!
1日逃したにもかかわらず、現地スタッフが「こんなのは初めて見た」と言う程の動きがあって、とても感動。
一生懸命お金を貯めて、1年に1回くらい行きたいほどでした。
結局、3回見る予定のオーロラ鑑賞は2回だったのですが、充分おなかいっぱい
しかし、最後の晩だからと、追加で2時間粘ったら、翌朝の集合時間が非常に早くて徹夜に。
疲れた体に徹夜はあまりに厳しく、飛行機での移動も寝てる間に済み、最後の目的地はスキー場。
ホテルで少し休憩をしたものの、夕飯で予約したレストランに行ったら、なんと眠気で食事ができないほど!!
フォークで取って食べることもできず、途中でフラフラとホテルに戻り、なんとかお風呂を済ませて就寝…
翌日のスキー場では、日本のスキー場とのあまりの広さの違いにビックリしました。
スケールが、違う!!リフトの長さが違う!(笑)
ど、どこまで1つのスキー場なの!?とビックリしながら滑り、初心者だったわたしは、1コースのあまりの長さに疲労困憊。
それでも、帰ってから当分の間「カナダ移住計画」が我が家の目標となるくらい、スケジュールがキツキツでも、良いところにたくさん触れたと思います。
そして1週間ほどの旅で11回も飛行機に乗ることは、あまりないでしょう。
初めての海外旅行で、カナダという国の大きさというか、日本の小ささを知った思いでした。
できれば、また行きたいなぁ…
2007年10月12日
2007年10月13日
プロローグ
インドへ足を踏み入れた者は、もう二度と行きたくないと思うか、その魅力の虜となるか、そのどちらかになると言う。
私に言わせれば、インドはそのどちらもあわせ持つ、不思議な魅力がある国である。
女の一人旅ともあれば、当然様々なトラブルに遭う。
騙され、嘘をつかれ、酷いセクハラを受け、そんな酷い思い出があるにもかかわらず、インドを愛さずにはいられないその理由について書いて行きたい。
自分への挑戦
インドへの旅を決めたのは、短大2年の頃だった。
周りの友達が就職活動をしている中、私は大学へ編入することに決めていた。
しかし、その頃私はある一つの想いに駆られていた。
「一度でいいから、自分の可能性を試してみたい。」
という想いであった。
そこで私は、どうせ自分を試すなら、過酷な条件の国がいいと思い、インドを選んだ。
インドへは、短大1年生の春休みに行ったアフリカのケニアへのスタディーツァーの途中で乗り継ぎのため東インドのカルカッタで1泊だけしたことがあった。そこの従業員にセクハラされ、無理やり高額なチップを取られた嫌な思い出があった。
でもそこでさらに印象に残ったのはストリートチルドレンの存在であった。
私は空港から1泊する予定のホテルに向かう途中のバス乗り場で、10歳くらいの男の子たちが私たちに群がってきた。
その中でも一際目をひいたのは、足が腕と変わらないくらい細く、お腹は栄養失調で張っていて、上半身は裸の男の子であった。その子は足が悪いのか、這った状態でお金を要求してきた。何不自由ない生活をしてきた私は言葉にならないほどの衝撃を受けたのだった。
そのような理由で、私はインド行きを決めたのであるが、当然ながら両親は大反対であった。
しかし、根気強く説得しつつビザの取得や航空券の手配、ホテルの手配を行い、ただの観光旅行ではインドのよさはわからないと過去の経験からそう思い、現地のNGO受け入れの手配なども自分で行った。
現地のNGOでは、海外からの旅行客を農村地帯へ派遣し、観光旅行では体験できない生のインドを見せてくれるというのだ。
参加条件は30日の現地への滞在で、そうしないと生活はわからないからということであった。しかし、女性一人でもOKで、空港への迎えも初日のホテルの手配もしてくれ、同じ時に他にも日本人女性が1人いるというので参加を決意したのだった。
インドへの旅立ち
家族の見送る中、私はインドへ一人旅立った。
腰まであった長い髪をバッサリと切り、服は作業着のような男物の服、背中にはバックパッカーのような大きな登山用のリュック。貴重品は細心の注意を払って分散させた。
エアインディアに乗り、昼の12時に成田を出発して首都デリーには夜の22時に着いた。ドルからルピーに両替をしてロビーで迎えを探したが誰もいない。私はガイドブックを抱え、途方にくれた。
実はこの出発する数日前に、20歳くらいの日本人男性が空港で死体で発見されたというニュースを聞いたばかりだったのだ。
空港はとても危険で、ここからその辺の出待ちしているタクシーに乗ったら最後、高額なお金を払わされたり最悪の場合事件に巻き込まれるのだ。
私はとにかく予約してもらったはずのホテルに行けばなんとかなると思い、空港にある前払い式の比較的安全といわれているタクシーに乗ってホテルに向かった…はずだった。
人通りが多くなってきた場所にタクシーは止まり、ホテルに着いたのかと聞いてみると、なんと観光案内所に来たというではないか。
タクシーで観光案内所に連れて行かれて数人の男に囲まれて高額なお金を請求された例が、ガイドブックに書かれていたことを思い出し、タクシー運転手に怒りをぶつけた。
そうしたら、なんとその運転手はそのホテルの場所がわからないから観光案内所にきたというのだ。住所を見せてもわからないというのだ。とりあえず観光案内所に恐る恐る入り、別のホテルを案内してもらったが、本当に初日から恐ろしい目にあってしまった。しかも夜だったから本当に怖かった。
気を取り直していざ農村地帯へ
NGOの事務所へ行くと、21歳のフィンランドの女性を紹介され、その子と一緒に村まで行くことになった。私は英語がたどたどしいので、ほとんどその子に連れて行ってもらった感じであった。
道のりは遠く、夜行電車やバス、ジープ(農村地帯ではタクシーはなく、乗り合いのジープに乗って村間を移動する)を乗り継いで、首都デリーから一日がかりで北インドのウッタルプラデーシュ州の(ネパールに近い)ヒマラヤ山脈の近くの山里にたどりついた。
私たちを迎えてくれたのは高齢の厳粛なヒンドゥ教徒の老人夫婦であった。その容貌はガンジーを思い起こさせる。
私たちが生活したのは、コンクリートに古い薄いカーペットのようなものが敷かれた、殺風景な場所だった。部屋についているのはインド式のトイレのみ。(トイレに紙はなく、バケツに汲んだ水をカップですくってお尻を洗い流す)その部屋の1階部分に老夫婦の部屋と食事場所、台所がある。その場所へは一旦部屋を出て外から回り込まなくてはならない。
食事は野菜のみで、主食はチャパティかライスである。だいたいの料理はあまり辛くはないが、独特のスパイスが効いている。3食が同じような料理だったので、30日の間肉や魚、卵が恋しかった。
村での生活は本当に質素なものだった。ウッタルプラディーシュ州はインドの中でも最も貧しい州の一つで、村の人々の生活水準は低かった。
みんな自給自足のような生活で、畑へは谷を超え山を越えて1時間以上も歩く場所にある。しかも途中には野生のトラが出ることもある危険な場所である。私も何度か畑へ同行したが、道幅が30センチで左は山肌、右は崖なんて場所を農具や収穫物を持って通るのだ。まさに命がけである。
それでも村の人々は口々に言う。
「あなたの国ほどお金持ちじゃないが、私たちは今の暮らしで十分満足している。食べるものがあって、家族がいる。これ以上幸せなことはない」
と。
モノがあるから幸せなわけではない。これは決して見栄を張っていったものではなく、本心だと思った。
この村の人々は、信仰によって支えられ、守られている。
ヒンドゥ教では質素倹約を美徳としている。欲を持ってはならない。殺生をしてはならない。そう小さい頃から教えられてきたのだ。
モノの豊かさではなく、精神の豊かさこそ本当の豊かさだと、私は村の人たちに教えられた。
農村の人々との交流
農村の人々は英語がほとんど話せない。高校で少しかじるくらいなのだ。外国人と会話する機会もないので、その地域の言語とヒンドゥ語くらいしか話せない。
私はといえば、中高での英語は赤点だし、ヒンドゥ語も本を見ながら挨拶くらいしか話せない。当然、みんなが何を話しているのかわからないから、他の五感をフルに使って会話するしかない。
私は、村の人々とコミュニケーションをとるために、あらゆることをした。ボディーラングエッジはもとより、絵で説明したり、音で表現して伝えたり、感情は顔や声のトーンで表現した。
すると、不思議である。言葉が通じなくても、気持ちが通じるのだ。
言葉が通じなくても笑ったり、怒ったり、泣いたりできることを知った。外見や言葉や価値観が違っても、友達になることができることを知った。
私は村中の子供たちと友達になった。村中の人々と仲良くなり、お茶や食事に呼ばれたり、遊びに連れて行ってもらったりした。同じものを食べ、同じものを飲んだ。(通常、インドで観光客が生水を飲むのはタブーとされている。しかし、農村にはミネラルウォーターは売ってないし、何より山間部で水がきれいだった。)
一方、もう一人のフィンランドの女性は、村の人々と打ち解けることができず、途中でリタイアしてしまった。
私は残りの20日を一人で過ごさなくてはならなかったが、そんな私を心配して、村中の人が私にさらに優しく、無条件の愛情を注いでくれた。
この地図にも載っていない、小さな小さな村で、私は家族を持つことができた。私にとっては第二の家族で、かけがえのないものとなった。
家族のみんなは言ってくれた。また必ず帰ってきてねと。私たちのことを決してわすれないでねと。
別れの時、私は涙が止まらなかった。見送ってくれた村の人たちも私のために泣いてくれた。
村の子供たちはいつまでも、いつまでも、手を振ってくれた。
私は誓った。みんなに教わったことは絶対に忘れないと。
エピローグ
私は1ヶ月で、だいぶ変わった。
家族や友人も私の変わりようには驚いていた。
日本に帰ってきて、モノの多さに驚いた。なんと無駄の多いことだろうと。捨てられるもののなんと多いことだろうと。
そして、大切なことに気がついた。日本では会話を言葉に頼りきっているということに。
私は1ヶ月というもの、相手の言うことには全身を傾けて聞いていたし、一生懸命に自分の思いや考えを相手に伝えていた。
日本では違う。どこかよそよそしさを感じ、一気にインドが恋しくなった。
また帰ってきてね、という村の人々の言葉。また帰りたい。今度は自分の子供に見せてあげたい。
モノやお金がなくても豊かになれる方法や、人種や言葉が違っても友達になれるんだってことを、教えてあげたい。これからの未来を担う子供たちにとって、それはとても大切なことだから。
2007年10月14日
海外旅行の思い出と言ったら、「グアム」ですね!会社のコンテストの優勝のご褒美でおこづかい付きで、行ってきました。
日本と違い、開放感があり、ホテルのプールでは、シュノーケル体験ができ、初めてシュノーケルをしましたよ♪楽しかった!
次の日には、海に出てシュノーケルを楽しもうと言われたけど、次の日は帰る日だったので行けなかったんです。
でも、初めてのシュノーケル体験で楽しかったです。
ホテルの食事は、バーべキューで日本では、こんなでかいエビなんて食べれないなーって、沢山食べちゃいました★
ビーチでのバーベキューなので、海に夕日がうつって、とっても綺麗だったのと、生演奏があり、とっても素敵でした。
お酒も入り、最高の気分の時に、そこで彼から指輪をもらったんです。いつまでも一緒にいようね!っと、とっても感激しちゃいました。
その後、彼とは家庭の事情で別れることになってしまいましたが、今でも良い思い出として心にしまってあります。
2007年10月15日
海外旅行の思い出といえば、私の場合はスリランカ。
なんといっても物価が安い!!
さらに紅茶やフルーツのおいしいことといったら格別でした。
まだまだ観光ということには遅れているのかもしれませんが
みんな優しくて、穏やかです。
アーユルヴェーダを体験しましたが、これがまた最高!!
心も身体もリフレッシュできました。
さらに朗報!!何もしない毎日で、香辛料の入ったおいしいお料理(これは
びっくりですが、どんなお料理もみんなカレーのようなお味)をたらふく食べていたの
になんと痩せていたということ。香辛料は代謝をあげるんだという発見です。
旅行に行くと太る!!という方にはお勧めの観光スポット?です。
2007年10月16日
ハワイに行きました。新婚旅行で。
そこで事件がおきました。
やっぱりハワイへ行ったらブランド買う!でしょ?!ダメ?
そこで、グッチでお財布を購入したのだけど、どこかに置き忘れてしまったの!
バスに乗るときだと...戻ったらもうありませんでした。
一応ポリスに言おう!ってことで行ったはいいけど、日本語通じません(T▽T)英語も話せません(T▽T)
もう日本語で全然通じると思っていただけに、まったく通じないことにあせってしまいました。
でも、心優しい現地の日本語OKの方が通訳してくださいました
やっぱり英語は勉強しておくべきだったなぁぁぁと後悔^^;
結局財布は見つからなかったけど(T▽T)
いい?!思い出になりましたっ
2007年10月17日
イタリアに行ったときのこと。
飛行機に乗り込むと、やっぱりそこは現地に合わせていて、こんな真昼間から寝れないって!と思っていたら、搭乗したとたんに眠気が…。
起きる。寝る。起きる。寝る。
を繰り返していると、カップラーメンのにおいが。
なんと日本製日清のミニカップラーメンが後ろで配られていると聞いてわざわざ取りに行く。
通路側のおじさんが紳士で良かった。水は「名古屋の湧き水」でした。
やっとこさイタリア到着!全ての店が閉まっている時間で、ひっそりとしていた。
送迎付にしていたので、あとは着いて寝るだけだと思っていた…ら、1時間半-2時間くらいかかった!
でも他のホテルも回ったし、これが普通で、しかも途中に名所を回ってくれていたようで、滞在中危険すぎて見られない夜景をたくさん見せてもらえた。
次の日はウォーキング。
がたがたな石の道。これも古ーい歴史の名残をわざと残しているとのこと。
下町を通ったので、市場のような出店の所も通れた♪見たことのない果物もあって新鮮。お店の前を通ってすぐトレビの泉。
トレビの泉到着。こんな街中にこの大きさの噴水?とビックリするほどの大きさ。
泉にお金を後ろ向きから投げると、1枚なら「別れてもまた付き合える」2枚なら「結婚できる」3枚なら「別れられる」とのこと。。え?最後のは何?w
フォロ・ロマーネに向かう途中、川の向こうには、過去のショッピングモールが。
昔は男性しか買い物ができなかったらしい。それにしても普通に大きすぎるショッピングモールなんだなぁ。。お金を払えば中に入ることもできるらしい。
そしてそして!今回思っていた以上に良かったオススメスポットはこちら!
フォロ・ロマーネ。ローマ帝国の神殿が一部残っている場所。あれはガイドさんの話を聞かないと分からないことが多すぎたし、聞けてよかった。 ローマ帝国の時代からスリいたんだねー。
門の下まで繊細な彫刻が施されている。
所々壊れているのは、使っている材料を解体して取り出して再利用したからだそうな…。
その後コロッセオへ。なんと縄文時代に作ったらしい。日本その頃わらの家…。
何かの映画撮影をしていた。なんと昨日からこのシーンを撮り続けて、今30回目のテイクだとか…。
ごめんなさい、間違えて通りました;
ここで「ローマ」と日本語で書かれた解説本購入。今の写真に透明なフィルターをかぶせると昔の姿が見れたりと、分かりやすいし良かった^^
今でも帰ってきて、それを見るたびに思い出せる一冊。
その建物に込められた思いや、その建物を今私達が見てその思いを受け取っているんだと感じると、歴史の壮大さを感じることができる。
そんな旅でした
2007年10月18日
私の海外旅行経験は39年で6回と、多いほうではありません。
しかし、初めての海外旅行(イタリアやフランス、ドイツを中心のヨーロッパ10カ国21日間)で、その後の旅行を快適にする術を身につけました。
というのも、添乗員と親しくなることです。
何を当たり前な、とお思いでしょうが、これは重要です。ヨーロッパ形式のホテルというのはアメリカンスタイルのホテルと違って、全室が同じような作りでは決してないのです。
運がいいと、広くて日当たりもよく、そして景色もよい、というスバラシイ部屋にあたります。しかし、運が悪いと部屋は狭く日当たりは悪く、最悪はバスタブがないなんて部屋に当たったりもします。
夏の旅行の場合だと冷房機がないなんて最悪なこともあったり…
ここで「タイトル」に戻るわけです。
添乗員と親しくなっていれば、添乗員も人の子、やはり自分の好きな客にいい部屋を割り当ててくれるというわけです。
私はこの術で、海外旅行中(ヨーロッパ形式のホテルでは)、他の客よりもいい部屋に泊まっています。
2007年10月19日
初めて海外に進出したのは社員旅行。
別に海外に行きたかったわけじゃないんだけど、同じ職場で働いてた彼が行くって言うから行っただけw
行き先は韓国。
2泊3日だったかな?
昼から飲めや飲めやの大騒ぎ!
お酒が特別強いわけでもなんでもないのに、「酒持ってこぉーい」ぐらいな勢いで飲みまくりました(汗
もちろん上司もいるし、偉いお方もいる前で;
その後はカジノでちょっと遊んで、また夜ご飯には飲めや飲めやで騒ぎまくり…
えぇ、思いっきり吐きまくりでしたorz
次の日の朝も気持ち悪くて、朝ご飯のときも一応参加したものの食べれず…
部屋に戻ってくたばってました^^;
一日部屋でぼぉーっとしてたい気分だったのに、添乗員さんが来て一言。
「あとで合流してください」
はい、つまりはみんながいるところに一人で来い!ってことでした;
そう言われたら行くしかないのか・・・?って思って、ホテルからタクシーに乗ってみる。
タクシーの運転手さんは日本語があまり通じない人でした(大汗
と、突然運転手さんが誰かに電話をし始めました
「なんだよぉぅ、怪しいじゃんよぅ…」って感じで物凄く怖かったこの瞬間!
運転手さんが私に電話を差し出しました
お相手の方は日本語が分かる方らしく、どこに行きたいのか、目的はなんなのかってことを聞かれましたw
行きたい場所も運転手さんには分かったみたいで、笑顔がもれてました^^;
すんごく優しい運転手さんだったんだぁ?!ってホッとしました!
現場に到着したとき、運転手さんが英語でなにか話してた
「楽しんできてね」みたいな、そんな感じに聞き取れた^^
おかげでみんなと合流することができて、もうとにかくハラハラドキドキな時間でしたよー!
こんな体験は絶対にできませんからね!
で、このとき丁度ワールドカップが開催されてて
韓国の人に混じって、韓国サポーターになりきったりと
とっても楽しい日を過ごすことができました^^
赤いTシャツも買ったんだよw
韓国の友達もできて、ほんと初めてでもドキドキが多かったです♪
いい人にめぐり逢えて、ほんとに楽しい旅行でした!
2007年10月20日
ついさっきまで、アルバムの整理をしていたら、なんか懐かしい写真が出てきたぁ
私が中3のとき、アメリカのミズーリ州・コロンビア市にホームスティしに行ったんだ
中3だよ!ありえないよね
だって受験だよ?みんな勉強勉強って焦ってた。。
夏休みは私だけバカンスだったんだから、それで高校受かったって奇跡に近かったね…!
まぁ、市の姉妹都市とで開催した旅行だったから、結構内容はよかったよ
でもやっぱり、何が起きるか分かんないもんだねー。
アメリカなんか、ってか外国なんか行ったことない私が、 英語大っ嫌いな私が!ホームスティ…
向こうの家族と顔合わせしたとき…言いようの無い不安と焦りがあったことだけ覚えているよ。
向こうの子供たちが私に英語で!(当たり前だけど)喋ってきて…
逃げることも出来ないし、質問の内容も分からないまま時間だけが…
私入れて16人で向こうに行ったんだけど、みんな最初からフレンドリーで、私だけ遅れをとってたって感じだったぁ
まぁ、いろいろあったよ!
ローラースケートしてこけたと思ったら、打ち所が悪かったのか、耳は聞こえなくなるし(治ったけどね) 腰は痛くてしゃがめなくなるし…
これは、最後のお別れパーティーの時 「よさこい」を踊ったとき 2週間ほど経っていたんだけど、ビックリしたことにその時まで痛めてたみたいなの
そんなこんなで、涙の別れをしたわけさ
もう2度と会うことないからね…
…これからだよ!まだまだ不運が続くのは!!!
最初はホテルで!!
1泊空港の近くで止まってから、サンフランシスコに飛んだんだけど…
そこで、大きな大きな失敗をしてしまったの…
あー今でも思い出しただけで悔しいよ
デジカメのバッテリーと充電器、最初のホテルに置いてきちゃったのです…はぁ。
洗面台で充電してたらコロッと…はぁ。
それで、写真はまずもう撮れなくて。ブラックのブラックですよ。
1つ友達が写真機くれたけど…そんなんで足りると思って!!あぁーん
しかも、最後の最後になって風邪引いちゃうもんね…もーイヤ
11時間!11時間だよ!!
11時間身動きできない飛行機の中で、熱が上がっちゃって…
眠れないわ、気持ち悪いわ、誰も心配してくれないわ!!
悲しい終わり方だったよ…
はぁ…なんで思い出しただけなのに、こんなに疲れちゃったんだろ
2007年10月21日
海外旅行30回以上していますが印象に残ってるのは1999年5月に訪れたマカオ。
旅行当時はまだポルトガル領でした。
マカオの観光地として有名なセントポール大聖堂を観光。
キリシタン文化の残るこの地では異国情緒が溢れてる。
真中の空洞にはマリア像が。
香港みたいに高層ビルがだーーっと立ち並んでいないが、ここ数年、特に中国返還後はビルもバンバン建っているそうだ。
あたしが旅行したときは返還前だったこともありかなり観光客も多かった。マカオへは大抵が香港旅行ついでに訪れる人だそう。
香港からスターフェリーに乗って2時間弱。
もちろんこの時はパスポートがないとマカオへは入国が出来ない。
でも船で他国へ入国ってなかなかないからなんか感激してしまった。
マカオにきて驚いたのは治安の悪さと地元民の口の悪さ。
しかも異様に早口で普通に話してるようでもけんか腰に聞こえてしまう。
道端で大喧嘩してる人もいるし、道路の真中に平気で車止めてる人はいるし(バスが通れなくて大変だった)
着いた途端に物売りがしつこくてちょっとまいった。
でもそんな様子も面白くて少しわくわくする
香港に比べて白人が多いのがやはりポルトガル領を思わせる。
マカオの町並みはやっぱりヨーロッパの風潮が漂う。建物もカラフルで観光名所ではピンクやグリーンなどの家もたくさんあって可愛い!!
セナド広場も要観光スポット。
昼食はもちろんポルトガル料理。香港帰りだったので 辛いものづくしだった為洋食は嬉しかった。カステラがとくに美味。
そういえばフランシスコ・ザビエルはポルトガル人だったはず。
日本の文化にもポルトガルの影響はすごくあるけど鉄砲やキリスト教伝統の文化はマカオも同じ。
坂道が多いのも長崎によく似てる。
リスボン
カジノにてカジノを初体験! そんなに時間もなかったんでゆっくりはできなかったけど東洋のカジノとしては有名ですね。
カジノの撮影は絶対禁止です。未成年だったけどスロットに挑戦?♪
マカオでの一番の思い出はガイドさんの日本語のうまさと、話の面白さに感激したこと。
香港ではいいかげんな日本語を話すガイドだったから(笑)
キリスト教伝来の話やマカオの文化に興味がもてたのもガイドさんのおかげ。感謝感謝。
マカオー中国 国境(現在マカオは中華人民共和国 1999年12月に還元されました)
返還前に行った印象として東洋と西洋の文化が融合した異国情緒溢れる不思議な街でした。
街並みはどう見てもヨーロッパなのに人々はやはり中国人。
返還後はチャイナパワーで新たな歴史を刻みつづけてることでしょう。
2007年10月22日
(準備篇は以前に書きました)
さて、書く書くと言って先延ばしにしていたギリシア旅行記です★
ぼちぼち書いていきまーす。
写真はアテネのホテルなり★
2/25(日)
ギリシアになんの思い入れもなく、この日が空いてる&同行者のまぁちゃん(高校時代の友人)が
ツアーが良い!というので、これしか空いてなかったから参加のルックJTBのギリシア8日間ツアー(約20万円)です。
まあちゃんが「JTBのえらべる倶楽部」で割引があるというので、初めて「えらべる倶楽部」の会員証を引っ張り出して、5%だか3%だか割引になりました
今まで仕事が忙しく、このカードの規約、見直したことが無かったのですが、この後、ベリーダンス習うのも、英会話もこの割引使わせて頂きました♪(会社辞めて(有給期間)から利用しまくり・笑)
で、12時に成田第一ターミナル集合ということで、京成線にて成田に向かう。
私はいつも空港にトランクを送っちゃうという贅沢?をする代わり、成田へは特急料金をかけずに、京成線で地味に向かいます。
電車では、一番高いのは成田エクスプレス、後は京成スカイライナーとかあるのですが、普通電車の京成の特急(特急といっても特急料金は要りません)でもあまり時間は変わらず、値段は格安ですもの♪
まぁちゃんと空港で団体カウンターでチェックイン、円をユーロに両替(1ユーロ164円!)、免税店エリアに。
昔はここでHRのアイメイクリムーバーを買ったりしていたのですが、今は機内持ち込みの液体は100mlまで、という規則があるので、化粧品などをなんとなーく見るだけで終わり。
心なしか?免税店はすごく閑散としていました
また、ヨーロッパに行くときは、私はお茶が飲みたくなるから、いつもはここでペットボトルのお茶を2、3本買っていたのですが、これも液体100mlルールでNG…
何も買うものは無く、飛行機に乗り込む前に、メイクを落としてコンタクトを外して別人になりました(笑)。
集合地まではコートも着用していたのに機内ではノースリーブだったので、添乗員さんまで私の変貌ぶりにびっくりしてましたわん(笑)。
14時発のAZ787便(アリタリア)にて、18時半ミラノ着(12時間半のフライト)
時差は8時間です。(日本では夜中の2-3時)
ここで初めてツアーメンバーと顔合わせ。総勢33名なり。
若いご夫婦3組と、年配のご夫婦何組かと、母娘連れ、姉妹、友人などのグループで、後は大学の卒業旅行の男の子5人組がいました。みなさん普通のちゃんとした感じ(笑)。
機内の映画で「プラダを着た悪魔」を見たので、若干買い物魂に火が点き、ミラノでも一応SHOPは見ましたが(笑)、このユーロ高じゃね?
アニオナとか、心惹かれるけど。。。。結局手の届く?範囲は食料品。
パスタなどいろいろ見て時間を潰す。でも高いし!
何も買わずに20時50分発のAZ730便でアテネに向かいました。
到着は0時25分。ギリシアと日本の時差は7時間(冬時間)なので、機内では爆睡です。
アテネのエレフセリオスベニゼロス国際空港(覚えられない)からホテルまでは約50分。
ホテルは「カニンゴス21ホテル(KANINGOS21HOTEL)」という、
アテネ国立博物館近くのホテルでした。
アテネはオリンピックでリノベーション?があったのか、このホテルもモダンな感じ。(安めのツアーのホテルにしては)
部屋の中は赤を基調にした感じで、バスルームのバスタブそばの窓からなんとなく部屋が見える
カップル向け?な作りでした。(写真参考)
しかし、一番びっくりしたのは、ホテルのエレベーターが手動ドアなこと!!
エレベーターでは気を抜けず、エレベーターが来たというしるしのランプが点いたら、自分でドアを押して中に入り、降りる階についたら、すばやくドアのすかし模様に手をかけてドアを引いて外に出ないといけないのです!
日本時間、夜中の9時(つまり朝9時)にこんなもんに出くわしたので、
最初はフロアに着いたのに降りられず(ドアをどうやって開けたらいいかわからなかった。取っ手がないんだもん)
またフロントに戻っちゃいました。。。。
2007年10月23日
海外へ行くとどこへ行っても必ず立ち寄る場所は2か所あります。
1つはスーパーマーケット、そしてもう1つが本屋さん。
現地語ばかりで日本語が全くなく、地元の人の生活の場!に行って海外へ来てるぞ感を味わいたくて♪
本屋さんでは毎回絵本を購入してるのですが、選ぶのは仕掛け絵本や難易度の低いベビー向けばかり…周りでは小さい子供が遊んでて、きっと怪しい日本人女性なんですが、グアムへ行った時パパが迎えに来るまで1時間近くつたない英語で一緒に遊んでくれた少年が可愛かった
語学レベルが一緒なのか言ってることも聞き取りやすい!!
以来、海外へ行ったら本屋さんで子供とコミュニケーションをとることも楽しみの1つになりました。
2007年10月24日
リストラされた私に気を使ったのか、海外旅行好きの両親が資金を出してくれて一緒にイギリス・フランス・イタリアにパックツアーで行きました。
元々後から申し込んだ私と両親は別々の部屋だったので1人でツインだったのですが、そのために色々な事件がありました。
ある日は、漸く到着したホテルの部屋で電気が全くつかない。英語なら単語程度に話せますが、フランス語はボンジュール以外駄目です。
ツアーコンダクタの方も留守だったので、真っ暗な部屋にまんじりともせず過ごすことになりました。
翌朝、漸くツアーコンダクタの方と会ってホテルに見てもらったところ、単にブレーカーが落ちていただけ…真っ暗なので解りませんでした
またある日は両親と朝食に行こうと思ったところ鍵がかかっており、両親が行方不明になったと大騒ぎ。
2人は私に内緒でツアーに入っていなかった「真実の口」を見に行っていたのです。
娘のことも忘れ、機嫌で戻った2人のうきうきした顔を見て、何も言えませんでした
他にもツアーで一緒だった人が2人もスリにあい有り金を全て奪われたり、バス会社がストライキでナポリに行けなくなるなど、波乱盛りだくさんだったのですが、今では両親と行った最初で最後の素敵な思い出です
2007年10月25日
初めての海外旅行は中近東のバーレーン。現地に日本人の知り合いがいて、一ヶ月間生活させていただき、その間スペイン旅行にも連れて行っていただきました。
韓国旅行に行っても、ロシア留学時代の友達の家に1週間滞在したり…他にも必ず現地に誰かいたり、そこで友達になったり…。
海外旅行…と言うより、プチ海外生活なのかもしれない、私の旅の一つをご紹介したいと思います。
一昨年の冬に2週間プチ留学したマルタ。
ご存知ですか、マルタ島。地中海に浮かぶ小さな島国です。イタリアの南下にあります。
マルタは島自体が世界遺産なので、本当に美しい国でした
英語の学校に行って、ホームステイしたのですが、毎日の通学もわざわざ遠回りして、散歩しながら景色を楽しんだりしました。物価はちょいと高めなので、ステイ先のママがよく愚痴ってました(笑)
高いとは言え、住みたいと思いましたね。景色が半端じゃないくらい美しい!きっと何処に滞在しても絵になる国だと思います。写真小僧な私は800枚近く2週間の滞在で撮ってきました(笑)
それくらい魅力的な風景が溢れるのが「マルタ」なんです。
そして、人懐っこいマルタ人。
ホストマザーの優しいことったらなかったな。ちょっと愚痴っぽかったけど、「アナタの英語上達のために私は協力するから!」と言って、いつも話し相手になってくれてました。そして何より、お料理上手だったんで、マルタの家庭料理を堪能しました。イタリアンに近い味付けだったりしてましたね。
また戻りたいな。
マルタからイタリアのシチリー島にも安く簡単に行けちゃうし。
治安もいいので、初海外旅行で安全に楽しく行きたかったら、マルタがオススメです!
2007年10月26日
私は高校2年生のときにドイツへ行きました!
夏に行ったのですが、日本とは違って湿気が少なく日陰に入ったらすぐ涼しくなりました。。
10日だけの旅行だったんですが、日本へ帰る前に滅多に体験できないであろう経験をしました。
フランクフルト空港から日本への国際便が出ているので、最終日ミュンヘンからフランクフルトへ国内便に乗って行く予定でした。
ミュンヘンからフランクフルトまではわずか1時間ほどだったハズなのですが、その飛行機がエンジントラブルで飛ばなかったのです!
結局、空港で待つこと15時間以上…!
その日は日本へ帰れず、フランクフルトへ渡り航空会社が手配してくださったホテルへもう一泊することができました。
一時は帰れないかと心配しましたが、もう一日長く滞在できて、楽しかったのではないかと思います!
滅多にない経験と、素敵な想い出が得られて忘れられない旅行になりました
2007年10月27日
hawaii。
空港を降りた時の「ムンッ!!」とするあの独特の空気を感じた途端にハワイに来たんだぁーと毎回思う。そして次に必ず聞こえてくる陽気な[alo~ha!!]
もう日本人もずいぶん聞きなれているであろう[aloha]
ひとつひとつに意味があることを知っているでしょうか??
A (Akahai):思いやり・優しさ
L (Lokahi):力を合わせる・協調性
O ('Olu'olu):喜びに満ちた考え
H (Ha'aha'a):素直な心・謙虚さ
A (Ahonui):忍耐・根気
ALOHAに込められたこんな意味はいつも忘れないでいたいものです。
hawaiiでこの陽気で優しいアロハに触れた事、私にとって1番の思い出です。
親友とハワイアンジュエリーのピンキーリングをおそろいでオーダーした時、内側にALOHAと刻みました
2007年10月28日
私がハワイに新婚旅行に行ったのは、25年前のことです。(つまり、今年、銀婚式♪なんです。)抽選で当たった優待旅行だったので、安ホテル(たしか、ワイキキリゾートホテルだったと思います。)で、バスタブもついていないシャワーのみのお部屋でしたが、若い二人には関係なく楽しく過ごしていました。
ハワイでは、日本語が通じるから大丈夫と聞いていたのですが、なぜか、私達の行くところは日本語が通じないところばかり。
イリカイホテルでディナーをと思い、予約の電話をすると、「Do you speak English?」と聞かれ、「No!Do you speak Japanese?」「No!」…途方にくれましたが、なんとか、予約が取れました。
さらに、ホテルに向かう途中、明らかにチンピラと思われる外人さんが立ちふさがります。
(なんだ、こいつら?)と思っていると、もっていたバラの花を私達の前に投げるのです。
(??)と思っていると、「拾ってくださーい。」と変な日本語で言われ、言われたとおり拾うと、「それ、あなたのものでーす。お花代、100ドルね。」(はぁ?)
「急いでいますので、お返しします。」というような意味を片言の英語で伝え、返そうとするのですが、
「ノーノー、それあなたのもの、100ドル下さい。」の一点張り。片言の英語で何とか、この場を逃げようと思ったのですが、埒が明かず。
ぶちぎれた私は、「うっるさいなー!急いでるって言ってんだろう!てめえで落としたものはてめえで拾いな!」と日本語で啖呵をきり、主人の腕を引っ張って、その場からつかつかと立ち去りました。
あの時の、外人さんのポカンとした顔、忘れられません。日本の女性はおしとやかだと聞いていたのに!と思ったことでしょう。
後で、同じ旅行のグループの人に聞くと、かなりの人が、100ドル取られたとのこと。「あなた、強いねー。」と呆れられたり、ほめられたり。
以来、25年間、私が主人をお尻の下にしいていられるのも、このおかげかもしれません。(爆)
2007年10月29日
一回は行ってもらいたい海外旅行先を一つ選べと言われたら私はカナダを推薦しますね!!
私がカナダを訪れたのは高校2年生の時の冬でした。
カナダは寒いイメージが強かった為、あまり乗り気ではありませんでしたが、行ってみてビックリ!
カラッとした空気に大自然!!
ゴミゴミしたところで暮らしている自分にとってはすごい開放感あふれるところでした。
大自然だけなら田舎の方ならどこにでもありそうですが、カナダのすごさは半端ありません!!
1-2日目、バンクーバーに到着。
市内を散策し、チャイナタウンに行き、ありふれた観光旅行。
3-5日目、オンタリオ州に移動。
オンタリオと言えばナイアガラの滝!!
テレビでは見たことあり、大きいことは知っていましたが、目の前にすると開いた口がふさがらないほどの大きさでした。
滝まで500メートルくらい離れた場所でも水しぶきが飛んできて滝ツボあたりには虹がかかっていて自然のすばらしさを実感しましたね。
滝の裏にも行きましたが、流れ落ちる水の迫力に圧倒されました。手を出したら折れるくらいの水の勢いでした。
マイナスイオンをたっぷり吸って、お肌もみずみずしくなった気分でした!
6-9日目はサスカチュワン州に移動。
観光地はないサスカチュワンに実は知り合いがいまして、知り合いを尋ねて行きました。
夜になると知り合いが私を車に乗せハイウェイを北のほうへ・・・街灯もない場所まで行き車を降りるとそこには神秘の世界が待っていました。
牧草地で横になると空一面に星が輝き、どこまでも星空が続いていました。
地平線から星が見れるなんて初めての体験でした。
そして、夜が更けるにつれ見えてきたのは、夜空いっぱいで踊るオーロラでした。
テレビで見るオーロラとは違い、色鮮やかで本当に踊っているかのように大きなカーテンが波打っていました。
やはりカメラ越しに見るのと本物は全然違いますよ
いくら高性能のカメラでも本物には勝てません!
カナダの神秘の世界は写真でもテレビでも伝えられませんね!自分の目で見なきゃ!
観光スポットに行くのもいいかもしれませんが、雄大な自然を感じられるカナダを私はオススメしますね☆
みんなに一度は見てもらいたい風景でした。
なんだかんだで10日間の旅もあっという間に終わりましたが、心はリフレッシュし、帰った後もカナダで見た風景を思い出しながら、仕事に励みました。
2007年10月30日
場所はニースの海岸のすぐ近くにあるホテル。
部屋は9階で、窓からの景色はとても大きな公園。
夜にはライトアップされ それは素敵な景色!
ちょっと胸がジーン…!
部屋の鍵は 宝箱を開ける様な繊細で細長い物。
ホテルに入る前に隣にケーキ屋さんがあったので、ミルフィーユや、可愛いケーキを買ったのです。
それがとっても美味しかったので、もう一度買って来て貰う事にしました。
ところが、戻って来た彼がいつまでも鍵をガチャガチャ…
ん? どうやら開かないらしい。
ドアの外には 添乗員さんも駆けつけ、2人が交代で 鍵と格闘している様子。
「アッ!!」と叫び声。
どうしたの?って尋ねると、スマートな鍵が仇となって、鍵穴に入った状態で折れてしまったとか…
思わず、窓から外をじっくり眺めてみるとさすが9階。高い!!
ベランダ越しに部屋を脱出するか?
ウッソー!!007みたい!
頭の中で走馬灯の様に、あらゆる可能性を考える。
そうこうする内に、ドアの外から何やらブーン…
そうです。ジェイソンが持っている電気鋸の音!
ま、まさか!と思っていたら、鍵穴のある周囲から 鋸の刃が…
そして 誰かが体当たり。
目出度く救出(?)されたワケですが、
壊れたドアの部屋には泊まれません。
移された部屋は 小窓から倉庫しか見えない最悪なもの。
何で こうなるの?って思いましたよ。
別に ドアを壊さなくても、鍵穴の部分は ビスで留まっている金具だから、
その部分だけを分解すれば済んだじゃない?!
何か、日本人とは違うよなー
今となっては 忘れられない思い出でもありますが。
2007年10月31日
この前、初めてイギリスに行ってきました!
冬の寒い時期に行ったので凍え死にそそうでした。。。
だけど、とっても楽しかったよ♪
当たり前だけど、やっぱり景色が違う!!
街一つをとっても、一時間ずっとテラスで眺めていても飽きなかった☆
ず?っと街を眺めていたので、一緒にいた友達に
「何時間ここにいれば気が済むの??」
ってちょっと怒られちゃいました(*^_^*)
それくらい綺麗だった。
イギリスでは景色をたくさん見たり、
お買い物もたくさんしました☆
食べ物もとてもおいしくてとても充実した旅行ができましたよ
機会があったらまた行きたいです。
初めてだったので緊張したけれど、
とても楽しかったのでまた旅行に行きたい!!
次は「韓国」「イタリア」「ベルギー」「フランス」にも遊びに行きたいなぁと思いました☆
本当に楽しかった♪